ホールボディーカウンター調査での被曝切り捨て(矢ヶ崎克馬氏論文)

先日も大河原、仙台で勉強会をされた矢ヶ﨑克馬先生が最近まとめられた文章です。
福島県で行われているホールボディーカウンターでの被曝調査による被曝切り捨てについての論文です。
矢ヶ﨑先生は言われます。「これからは自分たちで考えて、自分たちで進んで行こうではありませんか。」
みなさん、おひとりお一人の判断の材料としてそのまま掲載させていただきます。

(先生の許可を得ています。必要と思われる方は情報拡散していただいてかまいません。)


早野龍五氏らによる
『福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果』について
矢ヶ崎克馬(琉球大学名誉教授)

1.公式記録からの被曝の実態切り捨て?
  -①高度汚染を測定対象としていること、②尿検査と比較しても-

1-1内部被曝の計測設定
早野龍五氏らによる『福島県内における大規模な内部被ばく調査の結果
― 福島第一原発事故7-20 ヶ月後の成人および子供の放射性セシウムの体内量―』に用いられた検査手段がホールボディーカウンター(WBC)であり、しかも感度の悪い測定条件によっていることがこの調査の最大の特徴である。この調査ではたった2分間しか測定せず、結果として300Bq/全身(三百ベクレル)と、きわめて検出限界を高くして使用している。検出限界が300Bq/全身であるということは、計測目標が3000 Bq/全身(三千ベクレル)以上の高度汚染を計測する設計(計測設計とはどれほどの大きさの値を計測するか、ということを「計測目標」に決めて、計測の機器や方法や時間を合理的に決めること)であるということを意味する。ところが実際に内部被曝の「計測対象」とされた市民の汚染レベルは設計された計測目標の10分の1以下のレベルでND領域なのである。このことをどのように読み解くか?これが本論文の課題である。
「放射性セシウムの体内量」とテーマにあるので、常識的には当然、「成人および子供」の内部被曝量を計測対象としていることを念頭に置くが、用いたWBCの計測設計は、被測定者群の10倍以上の汚染を計測目標としているのである。これは、被測定者の体内から出た放射線そのものを計測できる精度が無い設計をして計測しているということである(後述)。「2分間」計測での300Bq/全身の検出限界の意味は、あらかじめ、低線量を切り捨てる目的で設計されたとみなさなければならない。感度の悪い機械の問題という受動的問題に見てしまいがちであるが、市民に寄り添う立場からは、実はそうでないと指摘せざるを得ない。このことに本調査の特徴があり、この手段(WBC)に限定して測定していることに、被曝実態を記録上低く見せようとする(切り捨てる)意図が見事に貫かれると推察される。

1-2 全方位を検出器がカバーしていない測定器特有の問題
用いたCANBERRA社製のFASTSCANは、カタログによると、原発内の漏れた核種もはっきりしているような状況での測定を念頭に置いてあり、いわば、高線量用の短時間検出器として使われている模様である。検出器は7.6 x 12.7 x 40.6cmと大型検出器が2枚で、検出下限が1分間計測で150Bq(4nCi Co-60 )とされる。平田中央病院の検出限界は2分測定で300Bq/全身(Cs-137、Cs-134)とされている。
この対応は正しいのであろうか?
2枚の検出器のど真ん中に 4nCi(Co-60)の点線源を置き、全立体角の6分の1が検出器で覆われると略算して検出器の1分間に受ける放射線数を略略算すると3000発の放射線数となる。これが検出下限ということだから、検出器に3000発ほどの放射線が入らないとこの4nCi(Co-60)点線源から発射される全放射線数(150×2x60=18000)が推定できない(検出下限)ということである。
Co-60(正確にはNi-60)の1崩壊でガンマ線が2本出る。150Bqならば、ガンマ線が1秒間に300本出るのである。Cs137等はBaの崩壊でガンマ線1本放出される。150Bqならば、1秒間に150本のガンマ線が放出される。検出限界設定をCo-60で測定時間1分間と同じ放射線数とするならば、Cs -137等の場合は、300Bqで1分間とするか、あるいは150Bq2分間とするかの対応方法がある。
平田中央病院の場合は2分間の測定であるので、上記の場合の検出限界の値は、212Bq(300/√2)か、あるいは(2分を1ユニットと考えるならば)150Bqとなる。いずれにせよ2分測定で検出限界が300Bqとするのは高すぎる値である。検出限界値を高くして切り捨てを多くすることを目的とした数値操作の疑いがある。
ところが、身体全体に放射性物質が分布している場合にはそうはいかない。例えば、1崩壊1放射線として、1放射性微粒子が10Bqで、身体中に15個分布しているとしよう(計150Bq)。この時、1個1個の放射性微粒子から出る全放射線数をキャッチするにはどんな計測条件で達成できるだろうか?検出器の立体角が最大となる上記の条件の場所に放射性微粒子がいたとして検出器に3000発(このWBCの検出下限)の放射
線が届くまでにどれほどの時間がかかるだろうか?30分継続測定をしないといけない。この場合、一つ一つ放射性微粒子から出される放射ガンマ線を最低30分間の測定をしないと計量できない。高線量の場合や検出器が全方位を覆う場合を除き、低線量で検出器が一部の空間しかカバーしない場合に出現する特殊問題である。結論は、2分間というような短時間の測定では、ずいぶんの過小評価をしている可能性があるとい
うことである。もっと長時間測定すればもっと高い値になるのに短時間では低い値にとどまる。要するに早野氏らの計測では低レベルがシステム的に過小評価している可能性が高い。短かすぎる測定時間は、科学的に見れば「仕組まれた切り捨て手段」なのである。
その根拠は上記の略算でご理解いただいたと思うが次のように整理できる。計測の設計に関する問題であるが、WBC測定時間は2分であると報告されている。このような短時間で「測定できた」とする前提には、体の各部に存在すると仮定した点線源からは「十分に強い(放射線の量が多い)放射線が放出されており、点線源を中心とした全空間に占める検出器の割合(検出器の立体角の全立体角に占める割合)に比例する放射線量が、検出器に短時間内に到達した放射線数から放射線全数に換算できる」とした感度計算がなされる。このことには、ある点線源から「検出器に到達した放射線数が全空間に対する放射線数と比例する」ことが保障されなくてはならず、ふつう理論的に算出された必要時間数の10倍の計測時間が必要とされる。
ところが、体内の放射線源が弱ければ「時間当たり数の少ない放射線が刻々と放射されてはいるが、検出器には当たらない(計測されない)ことが全面的に生じてしまう。線は出ている(内部被曝をしている)が検出器に向かって放出されてはいない(内部被曝は認められない)のである。高線量用の計測設定で短時間の測定では、低線量の計測ではシステム的に、計測機自体が体内からの放射線を無視するのである。

1-3 まぎれもなく身体内から出ている検出限界値以下の放射線被曝は、切り捨ててよいか?
通常の検出限界はバックグラウンド等と「有意に異なる」信号を与える最低量を指し、正規分布を仮定して、標準偏差の3倍、すなわち3σ(σは標準偏差)としている場合が多いとされる。平均から±3σ以内に約99.7% の分布があることが知られている。存在しない被測定量が存在すると誤る確率が0.14% であるが,存在する被測定物質が存在しないと誤る確率は、(検出限界の測定量を含む試料を多数回測定する際に現れる)検出されない確率が50% になるというものである。
他方、定量下限(分析値として定量し得る最低量、定量結果が十分な信頼性を有することのできる最小量を意味する)の概念があり、10σ値(検出限界の約3.3倍)を用いることが多いとされる。すなわち検出限界よりずっと小さい値まで定量の信頼性はあるとされるのである。此処で用いているWBCではどうであろうか?
検出限界値以下であっても実際には数値が出てくる。300Bq /全身以下の値を持つ被測定者を繰り返し測定すると、検出下限以下になる確率は50%を超えるが、測定値の平均値が得られる。定量下限から判断すると、検出限界以下のベクレル数でもまぎれもなく「体の中から放出された」と十分みなせる測定量があるのである。これを正直に測定結果に反映させる必要がある。身体から出た放射線があるということは内部被曝していることであるが、これらをすべてNDとして切り捨てることが、検出下限値以下であるがゆえに公然と可能となったのである。NDとして内部被曝が確認できなかったグループにしてしまうこと自体、明瞭な「切り捨て」なのである。
被測定者の大部分をND以下の領域に置き、切り捨てる操作は、このプロジェクトが「切り捨て」を目的としていると懸念される第二の事由である。

計測時間「2分間」という測定設計は、「たくさんの人々の計測をしないといけないから」、などと言われているが、「おためごかし」はいけない。科学的には上述の内容を含み、「切り捨て」の体系であるといえる。この目的意識を、切り捨てられる犠牲者のせいにするのはよくない。
一般にこの種の測定の標準偏差は測定時間(サンプリング回数)の平方根に逆比例することが知られている。測定時間を4倍の8分にすれば検出限界は300Bq/ボディーから150Bq/ボディーへと半分になる。さらに18分の測定をすれば100Bq/ボディーまで下がる。云々。WBCの操作者が簡単に計測設計できるのは「計測時間」である。切り捨ての設計ではなく、住民に寄り添う計測設計をして欲しかった。

1-4 尿検査
「内部被曝隠し」という目的意識が危惧されるのは、もっと感度の高い尿検査を福島県が封じ込めていたのではないかと推察される事件が生じているのも一要因である。
昨年11月に、福島県の県民健康管理調査の検討会議の議事録の一部、「県側が尿検査に難色を示した箇所」を、福島県が公開する時には削除されていたことが判明している。福島県側の議事録隠蔽とこの調査が表裏一体なのではないか?と懸念しているのである。
尿検査の検出限界はおよそ0.05Bq/kg程度である。単純化して1日の排尿量を1kgと仮定して全身被曝量に換算する。子どもの場合は生物学的半減期を40日として計算すると、2.9Bq/全身となる。これを早野氏らが行った300Bq /全身と比較するとなんと、103倍も検出感度がよい。大人の場合は生物学的半減期を80日として、0.05Bq/kgは5.8Bq/全身となり、感度は52倍である。
要するに早野氏らが行った検査方法であり、福島県がこの方法に固執した(尿検査を排除した)ホールボディーカウンターの検出限界の50倍から100倍の感度が尿検査では保証できるのである。尿検査は、排尿の状態に個人差があり、日によって異なり、運動量や補水量で1kgあたりの放射線量は異なる。しかし、感度がよいということ自体のメリットは否定しがたい。数値そのものは誤差があり得ても検出感度はホールボディーカウンターの50倍から100倍もあるのである。早野氏らの調査を尿検査で行っていれば、おそらく50%以上の内部被曝者の確認ができているであろう。
住民に寄り添い、できるだけ放射能被曝があるかどうかを丁寧に検出しようとする意志があるのならば、彼らの行った以外の道が選択されたであろう。
筆者はすでは簡単な論及を提出していたが、論文は不掲載となった。筆者に対するレフェリーコメントに尿検査のゲルマニウム半導体検出器の測定時間が長すぎることが指摘されていたが、1Bq/kg程度までなら、NaIシンチレーションでも十分測定が可能となっている。WBC一機買う値段で何十台も購入可能である。要は住民に寄り添う姿勢を反映した計測目的さえあれば、如何にでもなるのである。

 

2.着衣被爆の危険 -内部被曝と同等-

さらに、着衣に汚染があったことが報告されていて、ガウン更衣で内部被曝は少なくなったとされる。この取り扱いでも、着衣に汚染があれば、当然体に密着した被曝がなされ、外部被ばくを懸念しなければならない。被曝は内部被曝だけではないのである。WBCで測定できるガンマ線被曝は、内部被曝でも身体密着型の外部被ばくでも大差はない。ガンマ線は分子切断密度が小さいので、ガンマ線の発射される位置による被曝差は、アルファ線、ベータ線の場合と異なり、大差ないのである(着衣による被曝はガンマ線はもちろん、ベータ線による被曝、アルファ線による
皮膚被曝がある)。特に着衣汚染による被曝はその人が家屋内にいるか外にいるかにかかわらず、常に体に密着した線源による被曝をもたらし、内部被曝とともに特に警戒する必要がある。着衣時で10%を超える市民に300Bqを超える被曝が確認されたのならば、おそらく100%近くの市民が着衣汚染被曝をしている。
恐ろしいことは、着衣の汚染は空気中に漂う放射能汚染を付着させた可能性があることである。もちろん土地を汚染させている放射性物質が接触により衣服に移行した可能性もある。第一原発からは今なお1時間当たり1000万ベクレルが空気中に放出されている。風向きによっては日本中に放射性微粒子をまき散らし、市民を内部被曝させている。着衣をも汚染させている。このことに「大規模な被曝調査」チームは心を痛めなかったのであろうか?
着衣被曝は、このように、市民の実生活の被爆状況が非常に危険であることを示しているのにかかわらず、「内部被曝の結果を高く示す邪魔者」としての扱いしかない。被曝を懸念する市民に寄り添う観点がないのである。測定者あるいは医師として「医の心」を持つならば「着衣被曝を避けなければならない」と心配する対象として当然であろう。しかるに彼らは内部被曝の値を下げることにしか関心がない。
第一次投稿した拙論文がリジェクトされたが、その際、レフェリー氏からは次のコメントいただいている。『② 着衣が汚染されていれば、もちろん放射線量は上がると思いますが、実際にどの程度上がるか、(よくネット上で彼が行っている)計算上の話ではなく、実測をされたらよろしいかと思います。理論上は無限に近づけば、エネルギーが無限大になるかもしれませんが、実測と明らかに異なります。』  レフェリ
ー氏はおそらく、放射性原子、放射性微粒子、放射線、放射線の飛程などの基礎概念ができていない方とお見受けする。点線源にいくら近づいてもエネルギーが増大するなどあり得ない。単位面積当たりの放射線密度なら増大する。しかもレフェリー氏が想定しているのは非常に強い放射線源について当てはまる「算数式」なのだと思うが、今考察対象にしているのは、身体あたり数百ベクレル程度の弱い線源である。また、体の中に
入った放射性微粒子はまさに体内の組織に密着しているわけだが、エネルギーが無限大になるとレフェリー氏は計算しているのだろうか?内部被曝の「被曝の実態」をいったいどう考察しているのだろう?これをどのように計測しているのでしょう?
実際に内部被曝がないならば、それは大変うれしいことである。しかし、内部被曝の実態を計測できない測定システムにより、過小評価され、切り捨てられるのはまさに人権侵害である。調査チームの測定設計は明白に『切り捨てを意図した』と科学的には判断せざるを得ない。それともそのような一般科学的あるいは計測科学的知識がなくて、盲目的に実施したのだろうか?いずれにせよ、ずさんな測定によって『被曝がない』ことにされた市民は大迷惑である。健康管理がおろそかにされるのはてき面である。

 

3.測定できないことは被曝していないことではない
-アルファ線、ベータ線、ヨウ素131等-

(1)内部被曝で、より脅威があるアルファ線ベータ線はいくら体内に放射性物質があっても、WBCでは感知できない。
セシウムはベータ線を出してバリウムに変わり(崩壊系列)、バリウムはガンマ線を放出する。当初セシウムであった1原子からはベータ線とガンマ線の2本が放出される。その際放射平衡と呼ばれる状態に達しているから、体の中の集団としてはベータ線の放出量とガンマ線の放出量がいつでも等しいのである。
しかし、ICRPの吸収線量評価の体系は、分子が切断される概念がなく、飛程という概念がなく、ただエネルギーだけで、しかも巨視的なスケールで評価しているものである。したがって、体内に入った放射性微粒子の危険性の評価の課題自体が、回答不能なのである。特に、放射性微粒子から放出されるベータ線の被曝線量被害が極度に過小評価されるのである。
内部被曝には上記のような崩壊系列が伴う。ベータ線、アルファ線は飛程(飛ぶ距離)が短い。それだけ分子切断の密集度が上がり、外部被ばくに比較して100倍から1000倍のリスクを生ずるといわれる(矢ヶ崎:内部被曝、ECRR2010年勧告参照)。
WBCで測定できない「低被曝線量」に重大な落とし穴がある。WBCで測定限界以下とされる領域に内部被曝は重大な危険が潜んでいるのである。この観点から、感度の低いWBC測定は「内部被曝を測定するふりをして内部被曝の危険を隠す」ものである。

日本の子ども、市民は東電福島第一原発爆発直後に放出されたヨウ素131の内部被曝をしている。この内部被曝は甲状腺悪性腫瘍などになって健康被害として現れる。特に子どもの甲状腺悪性腫瘍は2011年、2012年、福島県内だけで28例を数えるに至り、チェルノブイリ周辺国における発生数を何倍も上回っている。ヨウ素131の放射線は半減期が8日と短いために、全放射線が放射しつくされ、現時点では測定にかからない。しかし、健康被害だけは今後増え続ける。これを「放射線には関係ありません」と言い続けることにより住民の「健康に生きる権利」を切り捨てることは許されない。ヨウ素だけでなく、すでに内部被曝をしてしまった「過去の被曝」は、何らかの形で住民の健康被害をもたらす可能性を否定することができないものである。このことこそ、たとえ内部被曝の量が減少傾向でも、市民に対する健康管理が徹底されなくてはならないことを示している。此処でも、「内部被曝減少」で「めでたしめでたし」ではなく、健康診断、医療体制の充実を叫ばなければならないのではないか。
チェルノブイリ後の被害を見ても、WBCでは到底測定できないようないわゆる「低線量」で、白血病、死産、胎児死亡、ダウン症増加等々が報告されている。ICRPの過小評価を、さらにえげつなく踏み越えて、日本では安全論者が安全論を声高に叫んでいるが、実際の被害は彼らの「安全だ」という汚染領域に山ほど見つかっている。(核戦争に反対する医師団、ドイツ支部、「チェルノブイリ原発事故によってもたらされたこれだけの人体被害」、合同出版(2012)、ヤブロコフら 2009 “Chernobyl Consequences of the C Catastrophe for People and the
Environment” http://chernobyl25.blogspot.jp/、 O.V.ホリシュナ、「チェルノブイリの長い影~チェルノブイリ核事故の健康被害』 <研究結果の要約:2006 年最新 版>」、Children of Chernobyl Relief and Development Fund、(2006)、 その他)ICRP的な被害の実態をとらえない「加害者の立場」は被害を隠ぺいこそすれ、健康被害を防ぐために尽力することはないのである。
非常に気になることは、甲状腺をはじめとする健康被害に対しては、国あるいは福島県は公的な記録に載せないように「隠ぺい」をずっと画策し続けたといえる歴史が展開していることだ。小児の甲状腺検査を指揮している山下俊一福島県立医大副学長(元)は、2012年4月、日本甲状腺学会の会員メールを通じて、他施設で甲状腺の検査を希望して受診しても検査を断るように要請して、患者の医療を受ける権利を侵害し、データの独占的把握を行おうとした。「県民健康管理調査」に関する福島県立医科大学教授・鈴木眞一氏の記者会見(2012年9月11日)の際には、我々は、毎日新聞等で「県民健康管理調査」の検討委員会における「秘密会」の報道に接した。これは、同調査の本検討委員会に先立ち「秘密会」を開催し、調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故の因果関係はない」などを共通認識とし、秘密会の存在も外部に漏らさぬよう口止めをしていたなどの報道であり(『毎日新聞』2012年10月3日付朝刊)、「第3回『県民健康管理調査』検討委員会(2011年7月24日)」における克明な文書の内容の報道もあった(同紙2012年10月5日付朝刊)。これらは健康被害の隠ぺいが、同時に被害者の医療切り捨てに直結し
ている危惧を抱かせるものである。
放射線による被害の隠ぺいの方法は2つあり、その一つは汚染を過小評価すること、もう一つは健康被害を放射線とは関係ないとすることである。我々は、モニタリングポストの表示を確かめるために系統的に測定を進めた。調査結果は、モニタリングポスト体系は、市民の実際に受けている空間線量の半分ほどの値しか示さない。このモニタリングポストが公式データを記録しているのである。住民の被曝線量の半分の値しか示さない最大原因は、周囲をかこっている金網であり、設置してある基盤が鉄板であることによることも突き止めている。此処ではその詳細を割愛する。

なお、測定問題での拙論の詳細は以下のURLを参照されたい。

http://peacephilosophy.blogspot.jp/2012/09/blog-post_19.html

pdfファイルでご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
WBC批判矢ヶ崎克馬.pdf(304KB)

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